91.11.28(木) つづき
イェニ・ジャーミの後、その隣にあるエジプトバザールへ立寄る。 みやげ物バザールとは違い、日用雑貨の店が並ぶ。ここでマトンの肉をぶらさげて切り売りするサンドウィッチを賞味。これがなかなか美味い。
早々にそこを出てファーティフ・ジャーミ目指し西へ進む。
この辺り(CAGALOGLU地区)には有名なグランドバザールもあり旧市街地の中心地区に当るのであろうが、街中全てバザールと言った感じである。人で混み合いその中に車が進入し、雨の泥道はまさにごった返しといった光景。
イスタンブール大学もこの付近にあり、若者も多い。
美人につられ学生街の喫茶店にはいる。CAFE PLAZAと言うイスタンブールらしくない名前の店では学生達がカードや麻雀に似たゲームを楽しんでいた。いわゆる雀荘か。
ここでトルココーヒーを賞味。これはまずい、と言うより下半分は粉でドロドロなのだがそれも飲んでしまったため。上澄み部分のみ飲むそうだ。 しかし女性が綺麗。美人が多いのである。いろんな血が混じったエキゾティックな顔立ちと言うところか。
メインストリートであるCADDESI通りをさらに西へ進む。
しばらくするとその通りに面してシェフザーデ・ジャーミ - SEHZADE CAMII - がある。 あいにく全面修復の工事中であり、中庭には左官の材料や窓枠のプレコン、解体した屋根の鉛板などが散乱していた。しかし思いがけず、その工事現場の管理士と話す機会を得た。
Mr.AKPINAR(現場主任の弟であった)は親切で我々(計6人)を工事事務所に案内し、ミントティーをご馳走してくれ、いろいろな興味深い話しや資料を提供してくれた。雨漏りに悩まされ外壁の石部分を鉛で覆う工事をしている事、ミナレットが主体構造が木造であること、左官(プラスター)にはいっさいセメントを混ぜない事等など。
しばらく現場事務所で時間を過した後、彼の案内で内部を見学する。 モスクの内部は全面100角くらいの木の角材で足場が組まれていた。 これだけ組むのも大変な事だ。
彼の後を上へ上へ登って言った。階段も角材なので少々恐い。 中庭回廊の屋根、そして次のレベルの屋根と言うように次々と屋根に上がり、最後は頂部ドームの側面開口部まで、恐くて、エキサイティングなツアーだ。上からモスクを眺める事ができた上、内部のプラスターの修復作業も見る事ができた。
ペイントに見えていた文様は、実は色プラスターの象嵌仕事、つまりいったんベース色のプラスターで形を造り、次に必要な部分を削り取った上色違いのプラスターで塗り固めていき、それを繰返し繰返し行う事であのような文様に仕上るという事がわかった。
1階にある建具修復作業場では職人さんたちと楽しく話しをしながら彼らの仕事も見学する事ができた。皆気さくでフレンドリーな人々だ。 別れ際にMr.AKPINARが「我々は同じアジア人で友達だ。」と言った言葉が印象的であった。感謝の気持で扇子を贈りそこを立去る。
もう16:00近い。バヤジット広場付近で遅めの昼食を済ませばもう暗くなっていた。 時間が惜しい。急ぎバヤジット・ジャーミにかけ込む。
ちょうど運良く夜(夕刻17:00前)の礼拝の時であり、我々もモスク後方でその様子を見学した。コーランを歌う声の中、立つ、ひざまずく、そして前へひれ伏す。といった動作を繰返している。
最初は堂の前方に皆で集りながら、そのうち、一人、一人、後方へ下がっての動作だ。解散は自由のようで一人、また一人とバラバラに帰っていった。モスク前にパトカーが数台止っていたのでなんだろうかと訝しく思っていたが、警官達も礼拝をしていたのだとわかると、宗教によって連帯されている共同体といったようなものを感じる。
バヤジット・ジャーミも背廊があり、それがウィングとなって突出している。 見て廻る中、その闇の中で礼拝中の女性の姿が浮んだときは正直ぞっとするものを感じた。(前に述べたように女性は中央の間には入れない)
バヤジット・ジャーミのすぐ横はもうグランドバザールである。 この少しあやしげなイメージの建物に入る。 イスラムアーチの連続する通路に沿ってカバン、皮、アクセサリー、その他いろいろな店が立並ぶ中、売子達の呼込みの声が響き渡る巨大なエネルギーが充満しているたいへん魅力的な場所だ。
今朝訪れたエジプトバザールとは比較にならないほどエキサイティングな場所だ。こんなおもしろい所なのかと正直わくわくした。 通路は基本的にタテ、ヨコに延びているが迷路的体験を味わえる。
どこもかもが面白い。
とある店で売子としばらく話合う。相手はどうしても売りつけようとする。こちらは買おうと思っていても相手のペースに乗せられないよう注意しながら時々は日本語を武器にしてやりとりをする。(ここの売子は買物に必要な日本語はマスターしているのでそれを逆手に取るのだ)
これは面白い。 もっとも旅先でなければ買物にここまでエネルギーを使う事もないわけだが、売子達は旅行者を楽しませるエンターテイナーとでも言えるか。
一日過しても充分楽しめるのではないだろうか。 値段は全般的に高いようだ。
19:00になると一斉に閉店。街の中の店も19:00までにほぼ全店閉るようだ。その時間以降は街は暗い。人はどこに住んでいるのだろう。建物から明りが洩れてこない。
こうなるとどこへも行けず、ホテルへ戻る。ガラタ橋を朝とは逆に渡る。 見返せば、夜景が美しい。雨混じりの天候で無ければと残念だ。 橋の上で魚のサンドウィッチを食べる。これはだめ。
性懲りもなく橋を渡ったところにあるフェリーターミナル前の食べ物屋で今度はドテ焼きのような中身のサンドウィッチを食う。その肉はうまかったのだが、スパイスを店の人任せにしたのが失敗。とにかく辛い。
おかげで舌がしびれ、やたら喉が乾く事となった。
その日の夕食は新市街地で夜の街として有名な、多分にヨーロッパ的な雰囲気のISTIKLAL通りに面したPASAJIという名のレストラン街で取る。こちらはサンドウィッチで腹がふくれているが、夕食を取らない訳にはいかない。何軒か店が並びここにも呼込み屋がいる。少しうんざりだ。我々は呼込みの無い地下の店にはいる。煉瓦の洞窟のような感じで、アコーディオンのおじさんがいるシーフードレストランだ。
ここで一人の日本人+一人のトルコ人に会う。会うと言うよりそのトルコ人(日本語は達者なのだ)がラッキーというトルコの酒をもって我々のテーブルにやってきたのだ。トルコアンカラ大学の日本語の教師をしているとの事。そして連れの日本人はアンカラ大学に日本政府より派遣された東大の先生(34才で体重100Kgくらいあろうか)だった。料理を食べ終った頃からその2人も同じテーブルにつき、一緒に飲み食いを始めた。最初は楽しかったが、そのうちトルコ人が酔いが廻り、徐々に質が悪くなり、その日本人先生のコントロールも効かなくなってきた頃、ホテルへ戻る。支払は日本政府もち。
|