|
91.11.30:Rabat |
91.11.30(土) フランクフルト、RABAT 朝ホテルを出て空港へ直行。いよいよモロッコである。 空港までバスでしばらくフランクフルトの街中を走るが、イスタンブールと違い、整然としたこぎれいな街並だ。整然と雑然、キリスト教とイスラム教、西洋と東洋、と言ってしまうのは少し乱暴かも知れないが、一瞬の間であるが文化の違いを体験できた様に思う。 今はうまく言えないが、秩序なるものと豊かさの関係について大いに考えさせられてしまった。 企画者の意図とすれば心憎い配慮である。 フランクフルトからカサブランカまで約4時間のフライト。 カサブランカには立寄らずモハメッド5世空港よりそのままラバトへ向う。約100km、バスで1時間30分の距離だ。 モロッコを含めたマグレブ地方は”陽の沈む国”という別名があるらしい。そう思えば”陽の出づる国”より”陽の沈む国”まではるばる来たものだ。 人口70万人のモロッコの首都、ラバトには15:00頃到着。 やはり暖かい。と言っても半袖を着るまでではなく、日本の春、秋といったところか。少々寒いときはコートを羽織る程度。
市街地西部にあるルワーの門(別名”風の門”)をまず見学。 積上げた石の壁体にレリーフ、装飾タイルが施され、天国の入口の鍵穴、イスラムアーチが貫通する門であるが、さしてどうという事なし。 かつてのモスク建設が中断された痕跡との事。なるほどそれでハッサンの塔はミナレットだったのかとわかる。広場周囲にはかなり古い城壁も一部残っており、”強者どもの夢のあと”といった風情である。 この場所は昔から聖地のような場所だったのだろうか。 かつての遺跡を取込みながら、国王の墓として全体が計画されている。 敷地全体を南北方向に中心軸が貫通しており、その軸線上、北側にハッサンの塔、南側に王室専用のモスクが配され、それらが石柱の広場をはさんで対峠しており、モスクの両脇には現国王と前国王それぞれの霊廟が中心軸に左右対称となる形で配されている。(現国王ハッサン2世の霊廟はいま建設中であるがモハメッド5世のそれと同じ物になりそうだ)個々の建築はともかく、この全体計画は興味深い。 どうも見る側が、歴史を感じさせる物が今現在息づいている光景に出くわすのを期待しているようだ。(ルワーの門も今閉じられているので面白く感じないのだ) この場所から東方向川越しにSALEの街が見える。 緩やかな起伏の上一面に白い建物群が複雑に集積され、ときたまモスクのミナレットがスカイラインを突破る。魅力的なメディナの風景だ。 このメディナも今現在そこに人が住み、生活が実際に営まれているからこそ魅力があり、遠方の異邦人を引寄せる力をもつのであろう。 陽も暮れかかり、ウダイヤカスバへ急ぐ。 カスバ - KASBA - とはメディナの様な居留地であるが、その中でも特別にそこだけ城壁で囲まれたところを指すらしい。通常のメディナ地区とは隣接はしているが、独立している。 よってこのウダイヤカスバへもウダイヤ門をくぐり進入する事となるが、城壁の中は驚くほど綺麗だ。特に外壁の淡いブルーなどで色づけられた土壁が印象的で、迷路的な道空間をさらに面白いものにしている。そして通りの名や住居表示もプレートでなされており、かなり計画的に整備されていると言った印象を受けた。 もっともほんの数十分程の滞在で一概には言えないであろうが、”カスバの女”ではないけれど、退廃的で、犯罪、悪徳の街といったイメージを抱いていただけに、いい意味で期待を裏切られた。 カスバを出ればもう陽も暮れ、街はイルミネーションで飾られていた。 夜は新市街地のメインストリート、モハメッド5世通りを散策する。 |
ハッサンの塔の広場
ウダイヤカスバより街を眺む
王宮の歩道
ウダイヤ・カスバ
|