91.12.01:Meknes

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91.12.01(日) RABAT、MEKNES

まだ晴れない。今回の旅行中今日までからっと晴れた日がない。
ホテルを出てまずラバトの王宮を見学。と言っても遠くから王宮の建物を見ておわりだが、敷地内道路の街路樹が面白かった。ユーカリの木であるが、横に張った枝が連続し四角く刈込まれ、歩道の上に緑の天井を造っているのである。メンテの体制が整えばいろんな面白い事ができるものだ。

さて本日はラバトからフェズまでモロッコを横断する格好で移動。 約200kmの道程。途中(ラバトから150kmあたり)メクネスへ立寄る。メクネスまでバスで2時間30分程度の風景を楽しむ。 実際見るまで私は、基本的に砂漠の風景だと思っていたが、ハイウェイ沿いに随所に緑の緩やかな丘陵地を見る事となった。
途中いくつかの小さな集落が眼に入る。傾斜地に置かれた白い土壁の箱状の建物、そして角型の素朴なミナレット。いろいろな集落に共通する物だ。それらが家畜の牧草の中、あるいは農園、果樹園の中に点在している。結局メクネスまで荒々しい自然の風景にはお目にかからなかった。

ちょうど中間点あたりの TIFLET という比較的大きな街で休憩する。 工事中の現場があったがRC造でわずかな断面にわずかな、それも細い鉄筋(9mmくらいの丸鋼が柱なら4本)が入ってるのみであり、床も孔空きレンガブロック(通常のレンガよりは二周りくらい大きい)で鉄筋が入っているかどうかも疑わしい。

メクネスでは”ケミースの門”(別名”木曜日の門”)と”ムーレイ・イスマイル廟”を見学する。 ケミースの門はラバト、ルワーの門と同じく、少々装飾タイルが多いくらいで、立派ではあるが特に興味をそそるものではない。
ムーレー・イスマイル廟は主にパティオ空間を巡ったわけだが、床、巾木(腰)に鮮やかな色タイル(文様ではなく色違いのモザイクでグラフィック的なパターンにて張られていた)、壁は黄色のプレーンな土壁、屋根、庇に緑の瓦というようにいままで見た中では色の彩度が1ランク高い事が印象的であった。それはやっと太陽が顔を見せ、比較的強い陽射しが差込んできたからかも知れない。

ここでイスラムの色の意味をメモっておこう。全てガイドから聞込んだ内容であるが・・・
緑 ・・・・ 命を示す。もちろん砂漠の中のオアシスから意味づけられた物だ
     。そういえばイスタンブールのモスクの床はほとんど緑色の絨毯
     であったし、モロッコのモスクの屋根瓦も緑だ。
赤 ・・・・ モハメッドの血の色を示す。 白 ・・・・ 昼を示し、どちらかと言
     えば死に近いイメージを持つ。
黒 ・・・・ 夜を示し、どちらかと言えば生に近いイメージを持つ。
     (この白と黒の意味は我々の感覚とは逆のようであるが、砂漠では
     昼の行動は死につながるので生物は夜行動するところからきたら
     しい。)

短い滞在と言うより単に通り過ぎただけなので、メクネスの街としての印象ははなはだ薄いが、メクネスを離れる際、丘の上より街の全体を見渡す事ができた。 メディナの美しい風景は忘れ難い。

フェズへ向う途中、モロッコ最古のイスラム王朝の都市、ムーレイ・イドリス - MOULAY IDRISS - 、及びローマ帝国時代の街が廃虚として残っているボリビリス - VOLUBILIS - へ立寄る。 この辺りからまた雨模様。つくづく天候には恵まれない。
ムーレイ・イドリスは小山にへばり付いた街だ。 遠くから眺めただけだが、例によって白い土の箱が建並び、訪れれば面白そうな街だ。そうなのだ。ハイウェイ途中の小さな集落もぜひ一度訪れたい物だ。きっと面白いに違いない。



ムーレー・イドリス

こちらの白い壁は太陽の陽射しを反射させるためで、ほぼ必然といって良い。家々では大体2年に一度くらいの割合で、石灰を水に溶かし壁に塗り込む事でメンテを行っているらしい。

ボリビリスは思ったより規模が大きい。ほとんど基礎部分の石しか残っていない廃虚であるが、部分的に煉瓦で修復された柱や凱旋門等が残っていた。廃虚そのものより、ローマ帝国がモロッコのこの地まで支配の手を拡大していた事に興味を持った。

フェズに到着したのはもう夜であった。 その日はちょうど洗濯の日でもあり、ホテルの近くをぶらっと散歩した程度で眠りに付いた。
明日から興奮のフェズ視察が始る。

Rabat〜Meknesの風景

 

ムーレイ・イスマイル廟

 

メディナ遠望

 

メディナ遠望

 

Volubilis

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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Last Update 00.06.17