91.12.09(月) BARCELONA、機内 つづき
我国の場合は戦争で破壊された焼け野原から始めざるを得なかったという特殊な事情を考慮にいれなければならないが、それでも今にして思えば多くの古き良き部分が残っていたように思う。
しかしその貴重な部分も、老朽化、防災化と言った安全性という大義名分の元、再開発によって破壊され、上からの視点で増幅され拡大されてきた。
様々な分脈や領域化された部分は消え去り、その場所の地形までもが強引に変えられ、均質化された。 均質化された故に増幅が可能であると言うような見方もできようが、自然や、時間と共に蓄積されてきたものを失わざるをえなかった様なやり方は大いに反省すべきものであろう。
加えて、土地はぎりぎりまで細分化され極限まで価値が高められた。 もはや住居を構築するにも貧弱な物しか建てられず、それらの集合までを考える余裕など持てない状況だ。
しかし道路は立派で、輸送体系は土木的なスケールで都市を縦横無人に横切っている。 住居などの単位と道路体系などの基盤施設との間にバランスがとれないままどんどん開発が押し進められている。
高速道路の巨大な柱脚の傍らにバラックのような家が建っているのだ。
全てが上からの視点の元、計画、施工されてきた結果と言わざるを得ない。そして今は秩序立てていると言うよりは、混乱を助長している。
もう一度足元を見据えないといけない。
自らの身体を通して把握し、理解できる街造りに戻らないといけない。 そしてそれは継続する事、持続する事(あるいはさせる事)の価値を改めて問直す事にもなろう。
イスタンブールの街が気にかかる。歩いた限りでは、その地形や骨格とが合わさって、ひしひしとその魅力が身体に伝わってくる街だ。
しかし通り過ぎる旅行者の眼にも明らかに今、車による閉息状態に陥っている。おそらく上からの視点による計画が進められていよう。ひょっとすれば新ガラタ橋はその一環かも知れない。くれぐれも方向を見誤らないようにと、祈るような気持である。
この旅の途中いよいよEC統合が具体的になり、参加国の間ではパスポートなど不要になるだろうという話があった。帰ってしばらくした頃、今度はソ連邦の崩壊というショッキングなニュースが伝わった。
かたや国境がなくなろうとし、かたやそれをもっと細分化しようとしている。ドイツの統一から世界はめまぐるしく動いているということを否応でも意識させられる。
また、それらの報道から我国の技術力、経済力は世界の中でも驚異と言えるほど強力だという事もわかる。もはや遠くの知らない国の出来事では済まなくなってきている。まさに国際化の時代だ。
しかし政治体制がどう変って行こうと文化の境界は尊守すべきであろう。 争い事は困るが、自分達の文化を大切にし、それを持続し、そして育む事。お互い違う文化を背景としている事にまず敬意を表し、そこから交流が始るべきだと思う。国際化時代の基本マナーとでも言えよう。
そしてそれは短い2週間の旅行でも同じであろう。
日本人観光客の様は「着いた、撮った、買った。」と形容できるらしい。
今回の我々の旅行がそうであったとは思いたくないが、なるほど、言い得て妙だ、と思える節もある。少々反省する次第だ。
それにしても世界は広い。 まだまだ知らない世界への憧れに揺さぶられる想いだ。
* この旅行記は特に資料を調べて書き綴ったものではなく、現地での 印象をそのまままとめた物である。
よって中には不正確な記述も混ざっているだろうが、どうかご容赦頂きたいと思う。
1992.01 前川治彦
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