21.08:暑中お見舞い申し上げます

核家族のいま

この間小さなコラムを読みドキッとさせられた。
日本は1960年代の高度成長の中、物質的な豊かさを追求し「核家族」という言葉のもとそれまで大切にしていた家族のあり方をあっという間に変え、3世代の住まいを、つまり祖父母を切り捨ててしまった。またこのコロナは高齢者の安全を守るというのを建前に、社会の中から高齢者の居場所を奪い、これがお年寄りを大事にする社会だろうか、という内容でした。

切ない思いですが、家族が共有する時間の減少が指摘されるのは今は核家族の中のことですが、このコラムは昔の大家族の良さを思い起こさせ、空き家問題も結局この家族のあり方の問題なのだと、今更ですが頭のなかで繋がって行きました。

今新しい家がどんどん建ってます。
コロナ対応のホームワークが引き金らしいですが(本当かどうかは分かりませんが)我が家の周りでも新しい宅地開発と並行して古い空き家が建て替えられてます。空き家が減るのはまずは良しと言えますが、新しい家は1つの区画を2つに割って建つので、まだまだ家づくりは核家族の家づくりなのでしょう。
かつての3世代の住まいから出て行った若い世代が戻るのならまだいいのですが、元の家族とは全くつながりのない不特定多数向けのいわゆる不動産物件では何も繋がって行かない寂しい心境になります。
年月を経て安定した緑が一気になくなり褐色の砂地になるのも結構辛いです。これを都市のあるいは街の新陳代謝と言っていいのかどうか?
今年で戦後76年、高度成長と言われて50余年。
年々明らかに地球環境が変わり脅威を感じますが、住環境の要因はやはり家族にもあるように思えます。

8月に入りもうすぐお盆。昔ながらの家族であればコロナなんて関係なく、ご先祖さまも交えて楽しいステイホームのひと時のはず。はやくみんなと楽しい時間を過ごせるのを本当に望む夏になりました。

21.08.03
21.08.16:一部修正