16.08:暑中お見舞い申し上げます

結果とプロセス

先日画家の山本容子氏がテレビである病院での絵画制作について語っておられた。それは一つの壁全体に直接絵を描くのであるが、目的は描き終わった完成形を見てもらうのではなくその過程、描く作業の過程のなかで入院患者やご家族あるいはスタッフとの交流を育み、病院という心身ともにハンデイを負われた方々の活力や希望へ繋がるステップとなりアートがその役割を担うというもので、それが印象深かった。

我々の世界で思い出したのはいまやもう確立されたと言えるコミュニテイデザインやワークショップ。これらはある結果を求めながらもそれを遂行して行くプロセスがとても重要視される。その方法やメンバーによって結果が変わり、多くはパブリックな性格を持つものに対する手法とも言えるが、例えば戸建住宅でも建築主のご家族とワークショップを交え共に創るやり方、あるいはDIYを加えての家造りのプロセスはその結果の説得力や満足度に大いに関わってくる。

かたやコルビュジエが世界遺産に登録された。世界一の建築家の作品はその過程がどのようなものであれ出来上がった結果はとにかく素晴らしい。ここには他者を交えてのプロセスはなくあくまで個人的な才能が造り上げた結果があり、それが賞賛されている。
冒頭の絵や住宅もプロセスが免罪符とはならず出来上がった結果が当然問われるはずだ。
しかし現代においてアートや建築の個人的な作家性がややもすると社会と断絶してるのを見る時このようなプロセスの重要性が思い起こされる。それは特に建築の場合、出来上がった後、永きを生きるために必要な次のプロセスにも繋がるのだろう。
結果はやはり大事だと思う。しかしプロセスのあり方に寄っては個人では思いも寄らなかった地点に到達するのかもしれない。
何か細分化された社会が新しい繋がり方を模索しているようにも見えてきました。

16.08.10