■ MAE today

この欄には当研究所の近況や、今思うことなどを概ね1回/月のペースで気ままに書いていこうと思っています。どうぞお気軽にお読みください。 

12.05:プチ旅行しました

海の博物館

連休を利用して海の博物館を見てきました。調べてみると竣工は1992年、もう20年も前です。当時雑誌で見た記憶ではその簡素な造形にはそう心を動かされなかったのですが、バブルが終わり時代を経るに連れ一際大きく輝いて見え、是非とも見ておきたいと思うようになりました。

風土とデザインが大きなテーマであったろうと容易に想像できるのですが、残念ながら伊勢志摩地方の建築をよく知りません。しかし新建築1992.11誌に寄せられた建築家の文章を読むとなるほどと納得させられます。
内藤廣氏は「素形」という言葉で表現されましたが、「(その土地の)自然と技術の直截な応答から生まれる」かたちを追求すること、それがその土地に受け継がれて続く営みの「時間」を表現し、建築はその場所の建築となりうる、と言われます。
仮にその土地特有の建築エレメントやボキャブラリーが顕著であっても、現代技術はもっと合理に地域の自然条件を克服し建築を自由にできる。近代は地域の建築を破壊してきたと言われるが、逆に自由にした一面もある。
そういう状況の中で過去に戻らずにどう設計できるのか。
厳しい予算との格闘が余分なものを削り落しより純な形で一つの成果に繋がったようだ。「素形」という言葉もイメージしやすい。
それにしても出来上がったものは地域主義的な印象が残り何かがつっかえた。

内藤さんの次の言葉は印象的だ。(要約してます)
「建築を考えるうえで時間の枠組みを設定するとさまざまなことが明らかになる。建築を存在させようとする時間を長く引き延ばそうとすると形の選択肢はどんどん狭くなり、おそらく「素形」とはこの狭くなる選択肢のなかで最後に残るもののことだ。建築が生まれてくるプロセスと、やがて帰って行く廃墟に「素形」は見やすい形で存在する。そしてこれら建築の始めと終わりを結ぶ長い時間を日常的な風景の背後で生き続ける。」

鉄とガラスとコンクリートでは出来なかったんだろうか?
槇さんや谷口さんならどうなっただろうか?

*「地域主義的な印象」と書きましたが適切な言葉が見つからないと言うのが正直なところです。「素形」という表現は何か普遍的なものをさすはずだと思うのですが、その辺りがまだうまく書けないでいます。

12.05.03
12.05.08注釈