■ MAE today

この欄には当研究所の近況や、今思うことなどを概ね1回/月のペースで気ままに書いていこうと思っています。どうぞお気軽にお読みください。    → MAE board

05.07:とまどいは残りますが

ファサード建築

ルドルフスキーの「建築家なしの建築」
ご存知のように有名な著作物で私も多いに感銘を受けた一人なんですが、そこで示されたバナキュラーで自然発生的な集落にはその土地のその場所の個性的で魅力的な顔があったのに、近代の街はなぜそのような顔を持ち得ないのかずっと疑問でした。壊してしまったと反省するならば新しくまた創っていくべきなのですがいつまでたっても状況は変わらないのです。

ファサード建築という言い方にはある見下したニュアンスが含まれていたと思います。つまり近代の、内と外との関係性のより高度な総合化を目指す意思の中には、ある一面だけ別の論理でデザインする事は、ピュアーな理論から外れると言う事で考えられなかったようです。店舗など都市の中で集客のためにいろいろ工夫された斬新なデザインも、商業主義というレッテルで一段格下に見られてきた経緯もあるようです。

しかしどうでしょう、現実の都市では繁華街を含めてそう言う商業エリアに独特で魅力的な顔があり、昼も夜も都市の楽しさや魅力を感じるのです。植樹などのグリーンも効果的に配されていたりします。少し上を見上げれば無機質な味気ないマンションが見えるんですが街路レベルでは歩いていて楽しいのです。
また先月も引合いに出したルネサンス都市でも、教会やパラッツオなど側面を見たら味気のない壁面なのに広場や都市に向けて堂々としたファサードが貼付けれ、その連続で気品ある重厚な都市の顔を造っているのです。
要はそんなに嫌わなくてもいのではないか?と思い始めてます。

ポストモダン(この言い方懐かしいですね)の頃もこんな話題が出たように思いますが、ファサード建築と言うのは、ピュアーな論理を壊すというよりは、内外の関係のよりきめ細やかな応答であり、そしてそれは建築類型を問わず魅力ある街並に繋がる有効な術でもある、と思ったりするのです。
みなさまのご意見お待ちいたします。

05.07.04