■ MAE today

この欄には当研究所の近況や、今思うことなどを概ね1回/月のペースで気ままに書いていこうと思っています。どうぞお気軽にお読みください。    → MAE board

04.09:どちらかと言えばまたぶつぶつひとりごとなので軽く流して下さい。(04.09.23修正)

折衷

ほとんど出張なんてないのですが、先日ホテルのチェックインで、「朝食は和食、洋食どちらになさいますか?」と尋ねられ、どうしようか決めるまで時間がかかってしまいました。
ご飯が良いが、コーヒーも飲みたいし、どちらかに決めなくても両方の好きなとこだけ欲しい、なんて思いながら。

折衷と言えば何か一本筋が通らないマイナスのイメージがつきまといますが今はほとんどがそうではないでしょうか?
いわゆる衣食住のどのジャンルでも、昔からある和、輸入された洋、双方とも単独で存在するのはよほどの特殊な世界で、大方は原型が変形加工されたり、あるいは巧く組み合わされたりで、折衷、混在され特別に区別せずというのが今の普通に思います。

しかし、これも呪縛なんでしょうか、洋ってどこ?、何?、て思われた方はおられませんか?我々には西洋と言う一つの括りでも向こうでも折衷はあるはず。その対象になるのは何?かつての建築の分野ではそれは過去の様式だったですが、今はもっと広く国家、民族そんな混ざり合いでしょうか?

そんな考えは面倒くさいし有効では無い、そんなところからインターナショナルを唱えた近代合理主義が出てきたのでしょう。か?
かつてのそれは新しいものを追求するあまり、古くからある地域に固有なものを無視してとにかく白い箱を作ってしまったのがいけなかったんだと思うのですが、それが反省され、それぞれの地域の見直しもなされてきた現在においてのインターナショナルとはどんなものか、またそれは本当に価値があるものなのか?地域、国家を超越することなくいろんな色を混ぜ合わせて結局グレーになるだけではないのか?

なんだか泥沼にはまったようですが、結局折衷とは変化の一つの様相を示す言葉として捉えるだけでいいのではないのかと思えてきました。
わが国固有の文化でも今までにずいぶん変化して来ました。和洋と言ってもその和がすでにどこかとの折衷なら改めてそれを問題にするのは意味がない。
問題は変化の中でその元にあったある良さがなくなる事にあるのでしょう。

木造住宅の設計の際はいつも我が国の場合それは何なのか?が気に掛かります
変化のなかであるものが無くなっても別の新しい良さが生まれて来る、今はそう言う本来の姿にあるのかどうか。

04.09.06 04.09.23