03.05:住まいに関連して思うことなど
定位
公園や原っぱに行ったとき、どこかよさそうな場所にシートや敷物を広げて、休憩や食事をしたことがあると思います。
それを私は少々堅い言い方ですが定位と呼んでいます。つまりある漠とした広がりの中で何かをしようとするとき、人はそのための拠点というのを無意識に探してその位置を定める本能のようなものを持っているんだと思っています。
住まいに関してもそういうことだろうと。つまり昔の集落や住まいは自然から身を守るに適した水辺などに位置を定め、そこに敷物と言うか家を建て、そこを拠点に農地を耕したり猟へ出かけたりし、日暮れには定位したところへ戻ってきたのだろうと。それが生活でありその土地に根付いた営みであったように思います。
昨今はどうでしょうか?
自然と言うより都市の中ではどこにどう定位すればいいのだろう。どこか良さそうなところと言った選択肢はもう残ってないように見えるし、家を建てるための土地と言うより、マンションやプレハブ住宅などの建物とのセットとなっているのがほとんどのようで、交通網や住宅設備の充実度などが現実の定位の判断基準なのだろうか。だとすれば住環境の質と言うのをどこで捉えたらいいのだろう?
かつて槇さんが言っておられたと思うが、都市に生まれ生きる世代にとっての住まいは根本的に変わるであろうと。
確かにそうなんだろうと最近よく思います。ちょっと前までは郊外に定位し、昔ながらのイメージの住居が、飲食店やオフィスといった都市施設とは別にまだ存在していたように思うのですが、いまや定位の仕方が全く変わり住居も都市施設なんだとつくづく思うようになりました。それはもちろんもう地に根ざした住まいではなく、もっと飄々と軽やかで、妖しい魅力を持ってるんですが、かつての本能的な定位からどこまで脱却できるものなのか。そんなことに戸惑う今日この頃なのであります。
みなさまはどのようにお感じでしょうか?
03.04.28
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