■ MAE today

この欄には当研究所の近況や、今思うことなどを概ね1回/月のペースで気ままに書いていこうと思っています。どうぞお気軽にお読みください。    → MAE board

02.03:少し端折りすぎたかも知れませんがある思いもこめて、ちょっとした草稿です。

継承

何代目と呼ばれる人たちがいる。
歌舞伎、陶芸など我が国の伝統文化の世界に限らず、老舗と呼ばれる衣服関連や食べ物屋さんまで含めると、意外と身近にも多いのではないだろうか。

広辞苑によると継承とは「先代、先任者などの後をうけつぐこと」とある。
踊りや作法の洗練された一定の型、あるいは創業者独特のデザインや味付けなど、最高級とまではいかずとも一定の質の高さが前提になってこそ受け継がれるものなのだろう。そして継承を繰り返す中でより高度な世界へと昇華していく。しょうむない(つまらない)ものは誰も継がないのだ。

我が国の建築設計の祖とされる辰野金吾が日本銀行を設計したのは1896年、江戸が終わり、西欧の建築を学んでざっと100数年である。一代40-50年とすれば我々はいま3代目くらいであろうか。
個々の家レベルでの継承とは少し違うであろうが、その間建築界は何を受け継いできたのだろうか。

大雑把に言って、建築家たちが活躍した国家の建物など「官」の建築と、庶民の住宅などを造ってきた棟梁たちの「民」の建築とに分ければ、建築界は「官」の流れの中では飛躍的な発展をとげてきたと言えるだろう。
当時西欧建築は一定の質なんていうレベルではなく、求める最高点であり、新しい考え、新しい工法、新しい材料に刺激を受け、それらをどん欲に吸収し応用して建物を造り上げてきた。
しかし、不幸なことにそのことが「民」の流れを分断してしまったように思う。

戦後の差し迫った復興、大量生産の論理なども後押しし、棟梁や職人たちが自らの手で育んできた木の建物の文化が時代遅れのものとして見向きもされなかった。耐震の考えや法体系もそれらを排他的に扱った。また新しいものを求める意欲からすれば古くてしょうむないものに映ったのかも知れない

その結果が今ここにある。
この100年の間に話は地球環境にまで及んできたが、足元を見れば要はかつての延々と継承されてきた「民」の流れを繋げることではないのか、と最近思うようになってきた。
またこの100年の「官」の流れをどう繋げていくのか。
何十万、何百万人が居住できる未来建物や都市を構想するより、今のスーパーゼネコンがその技術力をフルに生かして、工法や空気環境などを熟慮した建売住宅を供給する方がよっぽど繋がっていくのではないか、とも思う。

自らの内にはやはり新しいものを追い求める欲求も強いが、黒川さんの「共生の時代」を真似れば、今は「継承の時代」とも言えるのではないだろうか。
とにかくいったん受け継いでみる。そこからまた可能性が始まる気もするのである。

02.02.28